「ドイツを目指す前にポーランドはベストな国かもしれない。日本人はまず目を向けるべきかも」
「レヒア行きは、カズさんの言葉も大きかったけど、オファーがあると聞いて嫁さん(女優・加藤ローサさん)と『とりあえず旅行に行こうよ』と様子を見に行ったら、『そのまま契約したい』と言われて残る形になりましたね(笑)。良い雰囲気のグダニスクという街にも興味が湧いたし、クラブも堅実経営。若い選手が凄く多くて自分が上から2番目。『手本になってくれ』と言われたので初めて指導者目線で取り組みました。30代に入ってあまり動けなくなってきた分、周りを生かすなど<省エネサッカー>を心がけるようになりました。いろんな意味で前向きな変化があったと思います」
契約は1年で本人もシーズン終了まで戦うつもりだったが、半年後に事態が急展開する。史上初のJ2降格を強いられたジュビロ磐田からオファーが届き、「自分を必要としてくれている」と日本復帰を決意したのだ。
「(13年)11月末くらいに(当時のGM加藤)久さんが、わざわざポーランドを訪ねてオファーを出してくれたんです。自分ももう一回、Jリーグでやりたいって気持ちが強かったし、昔のジュビロが好きだったからね。ヤマハスタジアムに行くたび『今日は何点、取られるんだろう?』って思うくらいジュビロは強かった。そういうサッカーをまた見せられたらいいと考えました」