1996年アトランタ五輪で僕に起きた2つの幸運…不謹慎ながら最初の頃は「負けろ…」と思っていた
公開競技だった84年のロサンゼルスで金、88年ソウルでは銀、正式競技となった92年バルセロナでは銅。各大会でメダルを獲得したものの、オールアマで世界に挑んでいた時代、キューバの壁はとてつもなく高かった。合言葉は「打倒キューバ」。アトランタ五輪までの4年間はそのためにオールジャパンが組まれた。
メンバーの内訳は、社会人が16人、大学生が4人。そのうち、松中信彦さん(新日鉄君津からダイエー)、井口資仁(青学大からダイエー)、福留孝介(日本生命から中日)など、僕を含めた10人は後にプロ入りした。日本が五輪に出場した8大会のうち、オールアマで臨んだ中では、「ドリームチーム」と呼ばれたソウル組や唯一の金メダルに輝いたロサンゼルス組より、このアトランタ組のプロ入り後の通算成績が一番いいそうだ。確かに強打者が揃っていた。
それでも五輪本番が始まると、予選リーグで大苦戦。初戦のオランダには12-2でコールド勝ちしたものの、続くキューバ戦は延長十回の末、7-8で逆転サヨナラ負け。3戦目のオーストラリアには6-9。ここまで僕はほとんど出場機会がなく、不謹慎ながら、最初の頃は「負けろ。そうすれば俺にも出番が回ってくる」と思ったほど。すると、4戦目の米国戦で「今岡、スタメンだ」とお呼びがかかった。これが2つ目の幸運である。予選リーグで快進撃が続いていたら、僕はベンチ要員のままだったろうから……。