1996年アトランタ五輪で僕に起きた2つの幸運…不謹慎ながら最初の頃は「負けろ…」と思っていた
ここからはアマチュア時代の話をしよう。
1996年のアトランタ五輪の日本代表メンバーが発表された時、僕は東洋大4年。この五輪には「幸運」が2つ訪れた。
もともと僕はメンバー外のはずだった。東洋大の4年間、代表に呼ばれても補欠扱いの選手。それが、日本代表の不動の三塁手で五輪に出場すると思われていた仁志敏久さん(日本生命から巨人)と二塁手の松本尚樹さん(住友金属からロッテ)のバリバリのレギュラー2人が、五輪を待たず、前年(95年)のドラフトでそろってプロ入りした。当時はアマチュアしか出場資格がなかったため、当落線上だった僕が「繰り上げ」で招集されたのだ。これが1つ目の幸運である。
メンバー選出の際、僕を強く推薦してくれたのは、所属していた東洋大の高橋昭雄監督だったという。
「この大会が最後というベテランを選ぶより、将来性のある大学生の若者を入れることが、日本の野球界のためになる」
こう猛プッシュしてくれたと、後になって知った。