「PYRAMIDEN」佐藤健寿著
「PYRAMIDEN」佐藤健寿著
書名の「PYRAMIDEN(ピラミデン)」とはスウェーデン語で「ピラミッド」の意で、かつて人類が暮らした世界最北の街の名だ。
北緯78度、北極点まで1000キロに位置するスバルバル諸島の最大の島、スピッツベルゲン島中部に位置するその廃虚の街、ピラミデンの現在の姿を伝える写真集。
東西を氷河にはさまれた街は、南に湾が開け、北側には街の名前の由来となったピラミッドのような階段状の頂をもつ奇怪な山がそびえる。1910年、当時、無主地だったこの地でスウェーデンの地質学者が石炭を発見した。
スウェーデンの炭鉱会社からピラミデンを買い取ったソ連が、第2次世界大戦後に本格的に開発を始め、一時は1000人を超える人々が暮らし、映画館やプール、運動場などの娯楽施設も建設された。
しかし、1991年のソビエト連邦崩壊後、徐々に住人が姿を消し、ゴーストタウンになってしまったのだ。
写真は、上陸するために海から眺めた街の全景から始まる。荒涼とした山々の懐に抱かれてひっそりとたたずむ街の風景は、異星を舞台にしたSF映画のオープニングのシーンのようでもある。
島に上陸すると、桟橋や石炭を鉱山から港まで運び出すための設備だろうか、木製の遺構は一部崩壊を始め、廃虚化が進んでいる。
一方で、いかにも社会主義国家然とした質実剛健を第一にしたコンクリート製の建物群は、経年劣化はあるものの、存在感を放っている。
街灯につながる電線もそのまま、建物の窓のガラスも割れることなく、廃虚にありがちな荒廃感はない。
ほとんど植物が自生しない、永久凍土という特異な立地によって、街は自然による風化と浸食を免れてきたからだ。
もちろん生き物の姿はなく、目につく生き物は空を飛ぶ鳥だけ。写真からは吹きすさぶ風の音まで聞こえてきそうだ。
建物内には、かつての住人たちの気配があちらこちらに残る。今にも扉の向こうから子どもたちが飛び出してきそうなほど、当時のままの状態に保たれた保育室のような部屋があるかと思えば、壁や戸棚の扉の裏側に、当時はソ連では許されていなかったビートルズや西側の映画スターの写真、そしてヌード写真などが貼られた部屋もある。
冷戦下、この街は西側諸国に開かれた唯一のソ連の街で、「社会主義都市のショールームであり、ソ連の『自由』や発展性をプロパガンダする街」でもあったというが、住人たちは島に出入りする西側諸国の人々との交流の中で西側の文化にも触れていたようだ。
著者が現地を訪れたのはロシアがウクライナに侵攻を始めて半年後の2022年の夏。それから2カ月後にはピラミデンへの上陸は難しくなったという。
撮影最終日、著者は鉱山の岩肌に刻まれた文字に目を留める。そこにロシア語で刻まれていたのは皮肉にも「世界に平和を」というメッセージだったという。
(朝日新聞出版 2970円)