「武蔵野わがふるさと」田沼武能著
「武蔵野わがふるさと」田沼武能著
生涯現役を貫き、昨年、93歳で亡くなった写真家の作品集。世界中の子どもたちを撮影してきた氏が、もうひとつのライフワークとして撮り続けた武蔵野の四季折々の風景と、そこで生きる人々の暮らしにレンズを向けた作品を収める。
昭和39(1964)年のとある日曜日、練馬区高野台の長命寺から石神井公園の三宝寺池へと散策した氏は、「春の陽を浴び静かな微笑みを浮かべる石仏、雑木林に囲まれた葦の茂る沼にはヨシキリやセキレイが遊んでいた。ファインダーをのぞきながら、シャッターを押しながら、私はいつの間にかそのとりこになっていた」という。以来、半世紀以上にわたって、江戸東京を含む旧武蔵国全域を「武蔵野」のフィールドととらえ、各地に足を運び、撮影してきた。
「武蔵野」と目にして、多くの人がイメージするのが雑木林ではないだろうか。
氏も埼玉県三富地域の雑木林に足しげく通った。元禄7(1694)年、川越藩主だった柳沢吉保が開発した新田に約240戸を入植させた折、耕地の分与とともに1戸につき3本のナラの苗を配ったのが、この地の雑木林のはじまりだという。
夜明け前、地平線のオレンジから天空の蒼まで美しいグラデーションが広がる空を背景にシルエットに浮かび上がる雑木林をはじめ、朝靄に包まれた雑木林や枯れ葉の絨毯に埋め尽くされた雑木林など、同地域で撮影された雑木林はさまざまな表情を見せる。
人の暮らしと密接にかかわる雑木林には、手入れが欠かせない。地域のボランティアによる保全活動の様子もカメラに収める。
作業の合間に大きな木で遊ぶ子どもたちの屈託のない笑顔。こうして育った子どもたちが成長し、雑木林や里山が受け継がれ、幾世代にわたってこの景観が守られてきたのだろう。
ほかにも、かつては農業の一環として行われていたが、現在は雑草が茂ると廃棄物の投棄が増え不衛生になるからと行われている野焼き、苗を植える準備を終えた広大な農場、そして年末に行われる秩父夜祭、石神井公園の満開の紅梅に積もる雪など、まずは春を待つ冬の武蔵野の点景が並ぶ。
以後、水ぬるむ4月、ハケの湧水を集めながら武蔵野台地を東西に流れる野川で水遊びに興じる子どもたち(調布市)や新茶摘み(狭山市)、満開の桃の花に見守られながら農作業をする農家の人(横浜市)、京都・嵯峨野を彷彿とさせる町田市の竹林などの春の風景へと続き、季節によって変わる武蔵野のさまざまな表情の一瞬の輝きを切り取る。
武蔵野の魅力は、名将・畠山重忠や新田義貞を輩出した野武士の文化によって培われた「自然と生活が密着した豊かな風土」にあると著者は言う。
時代の波に洗われ、あらゆるものが激変していく中、あちらこちらに奇跡のように残った武蔵野の原風景が、見る者に故郷に戻ったような心の安らぎをもたらしてくれる。
(クレヴィス 3300円)