新しい共生を考える 最新生き物の本
「ドードー鳥と孤独鳥」川端裕人著
地球には変わった形態の生き物も変わった生態の生き物もいる。使えるやつもいるし、迷惑なやつもいる。縁あって同じ惑星に住んでいるやつらとどう付き合っていくか、ここらでちょっと考えてみよう。
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「ドードー鳥と孤独鳥」川端裕人著
小学4年生の望月環と佐川景那(ケイナ)は「絶滅」という言葉にビビッとしびれ、「絶滅動物」に熱中していた。環は自分のことを不格好で不器用だと思っていたので、頭でっかちで滑稽なドードー鳥に親しみを感じていた。人とあまり交わらないケイナは孤独鳥が好きだった。2人は友だちの輪に入れない子どもで、近くの百々谷の地図に絶滅動物がすんでいたら、と想像したりして遊ぶのが好きだった。
環は中学に入るころ、東京に戻った。やがて新聞記者になり、「近代の絶滅」を自分のテーマにした。ある日、先輩記者が、ロンドン自然史博物館のウェブサイトに掲載された記事のことを教えてくれた。1647年にドードー鳥が長崎に連れてこられたという記録があるというのだ。その記事の元論文の執筆者は「ケイナ・タツノ」だった。
江戸時代に日本に来たドードー鳥の足跡を追う、幼なじみ2人の旅を描く長編小説。 (国書刊行会 2970円)
「外来種は悪じゃない」伊地知英信著
「外来種は悪じゃない」伊地知英信著
著者の自宅には都内の公園から拾ってきたカミツキガメとミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)がいる。彼らは飼い主が逃がしたものとその子孫だ。カミツキガメは後に特定外来生物に指定されたので他人に譲り渡すことはできず、著者が死んだら殺すという選択肢しかない。
今や公園にはアメリカザリガニやブルーギルなどさまざまな外来生物が生息している。外来生物を悪者扱いして、駆除すれば「理想の自然」が取り戻せるという考えもあるが、カイツブリやカワセミなどは在来種のスジエビなどだけでなく、フロリダマミズヨコエビなどの外来生物も食べている。外来種が在来種の食生活を支えているといえる。
また、外来生物の中には、養蜂や緑化などの目的で環境省が「産業管理外来生物」として生存権を認めているものもあるのだ。
自然観察のインタープリターが、外来種も取り込んだ「新しい自然」を提言。 (草思社 1980円)
「エナガの重さはワンコイン」くますけ絵・文、上田恵介監修
「エナガの重さはワンコイン」くますけ絵・文、上田恵介監修
身近な鳥の中でも小さいのがエナガ。体重はたった7グラムで、500円玉と同じくらい。つぶらな瞳にはアイシャドーのような隈があり、子ども時代はピンクだが、大人になると黄色になる。
群れで行動するアトリは多いときは万単位で移動し、過去には10万から20万羽の群れが確認されている。新国立競技場に招待するとしたら、8万席しかないので席が足りない。群れて飛ぶと目が多くなるので敵を早く発見できるし、エサも探しやすい。逆に敵からは襲われにくくなる。
30センチにもなる長い尾羽をもっているのが特徴のサンコウチョウは、冬は南国にいて夏に繁殖のために日本に渡ってくる。そのときは尾羽をひらひらさせながら飛んでくるのに、秋に南国に帰るときには尾が短くなっているので、どこかに尾羽が落ちていると思われるが、拾ったという話は聞かない。
自然ガイド歴15年の著者が鳥の世界を紹介する。 (山と溪谷社 1650円)
「確かなリスの不確かさ」ドリアン助川著
「確かなリスの不確かさ」ドリアン助川著
雑木林で暮らしている特定外来生物タイワンリスのQ青年は、自分がしがみついているクヌギの木の周りにドングリが放射状に散らばっているのに気づいた。
一つ一つのドングリは不確かな場所に落ちるのに、総体的には円の中に着地しているという「不確かさからくる確かさ」を考え、身震いした。ドングリはそのまま乾いてしまったものと発芽したものがあった。タイワンリスは冬眠しないので、Q青年はドングリを地中などにため込んでいたが、発芽したのはそのドングリだった。
そして、クヌギという植物はリスとの関係があるから生存できるのだということを知る。Q青年はほかの植物の種も食べるのでドングリを食べるかどうかは「不確か」だが、地中に食料を備蓄することは必要なので、ドングリの発芽は「確か」なことだった。
ほかに、アリクイ、ナマケモノなど、動物の生態を通して生命や生きることについて考える21の物語。 (集英社インターナショナル 2000円)