快挙かヤラセかで大騒ぎだった猿岩石騒動
<1996年11月>
香港からロンドンまでユーラシア大陸の横断ヒッチハイクを敢行し、一躍人気者になった有吉弘行(当時22)と森脇和成(同22)のお笑いコンビ「猿岩石」。帰国直後の96年11月、ルートの一部で飛行機を使っていたことが発覚、一般紙も報道する騒ぎとなった。快挙か、演出の範囲内か、ヤラセか。放送した日本テレビにも賛否両論が寄せられた。
4月13日、「進め!電波少年インターナショナル」の生放送に出演中の猿岩石に突然、「ロンドンまで、ヒッチハイクせよ」と指令が下った。香港でコントを披露するだけの仕事と思っていた猿岩石は仰天。だが、番組に従ってヒッチハイクをスタートさせ、行く先々でハプニングが発生したことで、アッという間に「電波少年」の人気コーナーになった。
笑いあり涙ありのヒッチハイクは半年後の10月19日にロンドンにゴールイン。西武球場で行われた猿岩石の凱旋ライブには3万人が詰めかけ、旅の様子をつづった「猿岩石日記」はミリオンセラーとなった。
しかし、大ブレークした猿岩石に対してはやっかみの嵐で、疑いの声が上がった。当時、ミャンマーは国境地帯が封鎖されており、陸路での出入国が不可能というのはバックパッカーの常識だった。