映画「64」対談 佐藤浩市×瀬々監督の“昭和64年”の記憶
――佐藤さんと瀬々監督は久々のタッグですね。
瀬 「感染列島」(09年)のときは救急救命医の役で、浩市さんはスポーツマン的なところがあって動きながらの演技がすごくうまいんです。今回は動きもあるんですけど、内面(を描くシーン)も多いので、僕としては新しい浩市さんに出会えたと思っています。あと、これは語弊がありますけど、浩市さんも年取ったなと(笑い)。
佐 ……(笑い)。
瀬 本人は嫌かもしれないけど、表情がときどき滋味深い。今回、それがすごく印象的でしたね。
佐 (記者クラブの報道陣と取っ組み合いになるシーンで)全力じゃ芝居にならないので、どれくらいでやるか、我々常に現場の中で決めます。「気持ち真剣、力加減7割」と思っていても、実際は8~9割の力になっちゃう。昔ね、「美味しんぼ」(96年)という映画を三國(連太郎)とやったとき、最後に窯の前で組み合ったんですけど、我々は狂言や歌舞伎と違って「エア」じゃないので、どっか力が入る。でも三國の体がふっと軽かったんです。そのとき「親父、年取ったなあ」と。それが最近、若い役者と組むと僕の方が押されるんですよ。今回も「コイツら、『浩市さん年取ったな』と思いながらやってるんだろうな」と。(「東洋新聞」キャップ・秋川役の)瑛太あたりに「昔はビクともしなかったのになあ」と思われてるんだろうな(笑い)。