衰えぬコンサート人気 沢田研二が貫いた“独自路線”の矜持
GS全盛時は「タイガース」の人気ボーカル。ソロになっても「ジュリー」の愛称で数々のヒット曲を飛ばしてきた。化粧や肌を露出した衣装などビジュアル面でも女性ファンを魅了。当時は「男が化粧」と非難する声もあったが、それは百も承知。「敵・味方が半々。それがちょうどいいバランス」という沢田側の作戦だったという。
紆余曲折ありながらも順風満帆に見えた沢田だったが、95年に「自分のやりたいようにやっていきたい」と方向転換。すべてのテレビ番組から消えた。業界のしがらみを捨て、コンサート中心の活動に切り替えたのである。こんな話を聞いた。
「彼はアイドル的な人気歌手としてやっていくか、縛りのない普通の歌手になるか悩み、再婚相手の田中裕子にも相談。出した結論が後者だったそうです」(芸能関係者)
すでに昔のセクシーなジュリーの面影はない。年相応にお腹の出た体形と薄くなった頭髪。「もうビジュアルを気にする必要はなくなった」ことの証しでもあろう。全盛期は口数の少ない寡黙な歌手という作られたイメージも脱ぎ捨て、反戦や反原発をコンサートで訴える。素の沢田研二が舞台に立っている。それでもファンは毎年のように会場に足を運び、「ジュリー」と黄色い声援を送る。沢田の生き方も後輩歌手の指針になるかもしれない。