「稼いだのは1カ月…」ブレークから10年たった鼠先輩は今
以前、テレビ番組でブレーク時の最高月収を1200万円と告白していたが、年収は「夢がない話で申し訳ないけど2000万円もいかなかったです」と語る。
「稼いだのはほんの1カ月ほど。一瞬の通り雨です。ただ、バッターボックスに立つ時から自分は一発屋だと分かってましたし、そう決めてました。『のるか反るか』だったのは間違いないです」
人から“一発屋!”とやゆされることもあるが、
「嫌な気持ちはしません。当たり前のことを言われてるだけ。バカにする人もいますけど不発よりマシ。今の時代、どんなにお金を積んでも当たらない人は当たらないですし。一発当たるのは宝くじみたいでありがたいです」
■「才能ゼロ、ビジュアルも悪いからスキマ産業で」
さて、岡山県赤磐市出身の鼠先輩は、幼少期は運動も勉強もできなかったそうだが、明るくて目立ちたがりの性格だった。
「団地住まいで貧乏だったから、友達とおやつ代わりにアリとかいろんなものを食べておなかを壊してましたね(笑い)。でも貧乏だからこそ、いろいろと考えて面白いことをしてました」