“電波少年”は企画次第で視聴率が取れる革命的な番組だった
捨てるVTRがない。とにかくやって、転がりだした企画は、更に転がす。そうして伝家の宝刀とも言える“アポなし”という大鉱脈を掘り当てた。
「最初ナレーションは、ほんの数行だけでした。でもいつからか『あれ? ナレーションで、ツッコミを入れるのも面白いんじゃね?』となり、原稿の枚数も増えていきました。フリやオチにまで絡み、ひどい時はそのままナレーションで強制的にVTRを終わらせるんです。“撮影終了!”。こんな役割を、ナレーションが持つようにもなりました。視聴者の視覚にさらに訴えるように、テロップと呼ばれる文字も多く使い始めました。文字の色や大きさを変えたり、炎をつけたり、震わせたり、タイミングを工夫したり、音と連動させたり……と、テロップも面白おかしくしたのです」
電波少年が軌道に乗ったことにより、バラエティー番組には、ある革命が起きたそうだ。
「それまでの80年代のバラエティー業界は、絶大な人気を誇るスターたち、例えばたけしさん、さんまさん、とんねるずさん、こんな人たちによってリードされていました。ところが電波少年は、ほぼ無名のお笑い芸人でヒット番組を作りました。デビューしたばかりのお笑い芸人でも、企画次第では視聴率が取れる! これはちょっとした革命でした。今、人気絶頂の有吉弘行さんも『猿岩石のヒッチハイク』でユーラシア大陸を横断しましたから。それまでならば、せっかく考えた面白い企画でも、事務所やタレント本人に拒絶されたら、諦めるしかありませんでした」