第1期生・宇佐美友紀さんはMCママに 卒業後のAKB48を語る
その後のAKB48の大ブレークをどう見た?
さて、宇佐美さんは、学生時代に授業で朗読を褒められたことがきっかけで、アナウンサーを志望。03年、高校卒業後に都内のアナウンス専門学校に入学するや、その年の9月にはテレビのリポーターに採用され、続いて国体のアナウンサー、テレビCMとトントン拍子に仕事が決まった。
そんなある日、オーディション雑誌で見つけたのがAKB48オープニングメンバーの募集だった。
「もともとアイドル好きだった私は、最初はアイドルと一緒に仕事ができるMCに応募したんです。そうしたら、まだメンバーも募集してますから、って第1期生枠の応募になり、気がついたら最終合格者24人の中に。えーー、私でいいの? って感じでしたね」
そして05年12月8日、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立ち、アイドルとしてスタートを切った。
「最初の頃は、出演メンバーよりお客さんが少ないってことは珍しくなかったんです」
デビューシングルは翌06年2月にリリースした「桜の花びらたち」。センターは高橋みなみだったが、タイトルの個性的なロゴは宇佐美さんの作品だ。
「でも当時、すでに私は21歳。平均年齢が16歳ちょいで、一番若い増山加弥乃ちゃんはまだ11歳。何となく違和感はありましたし、この中でセンターになれるか? といえば正直厳しい。それで、私の原点であるアナウンサーやMCの仕事に戻るため、3月に卒業したのです」
その後、AKB48は大ブレーク。辞めなきゃよかったと思わなかった?
「それはないですね。ただ、07年にAKB48がNHK紅白歌合戦に初出場した時は、テレビで見ながらちょっと複雑な思いでした(笑い)」
卒業後は、MCやナレーターとして活躍。前述のように堅実にキャリアを積んできた。
「今はママラジオDJとして楽しく番組に取り組めています。今後も話という技術を生かして、仕事の幅をさらに広げていきたいですね」
(取材・文=高鍬真之)