追悼・大林宣彦監督 貫いた反戦平和とダンディズムの精神
■「やりたい仕事をすれば食えないのは当たり前」
映画によって、世界を平和にしてみせる。それは黒沢明監督ら先輩から受け継いだ志で、ジョン・フォードやウィリアム・ワイラー、フランク・キャプラら先人の続きをやってきたという黒沢からバトンを受け継いだように、映画の伝統、役割として、次の世代にも継承していって欲しい。そんな「遺言」を後輩の岩井俊二監督らに伝えていた。
遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」で製作総指揮の映画プロデューサー、奥山和由氏によると、大林さんは人生の幕引きを前にしても「よおい、スタート、はいカット」などと寝言を言っていたという。
敗戦後、日本は復興の道を間違え、先人が残してくれた美しい故郷、山河や緑、海、空を汚し、モノやカネに変えていった。映画は時間つぶし、暇つぶし、時間の消耗品へとなり下がっている。そう言って「僕も含めて、どうして人間は賢くならなかったのでしょう」と振り返ってもいた。伝えるべきことが伝わっていないという忸怩たる思いを抱えて逝ったのかも知れない。