最終週を飾る「オリンピック・マーチ」に盛り込まれた曲とは
古関に曲を依頼した組織委員会とNHKの要望は日本的なエッセンスを入れてほしいというものだった。「サンデー毎日」(1964年11月1日号)の取材に、古関はこう答えている。
「日本的というと、雅楽風、民謡風になりがちなのですが、それでは若い人の祭典向きではないので、それを捨て私の楽想のわくままに書いたのです。ただ、曲の最後に君が代の後半のメロディーを入れましたけれど」
知らなければ、一度聴いただけでは「君が代」がこの曲に盛り込まれている事実に気づく人はほとんどいないだろう。その軽快な曲調は、開会式(旧国立競技場)に集まった94カ国7060人の選手団や約7万5000人の観客たちの気持ちをひとつにした。見事なまでに、オリジナルの古関メロディーになっていたのである。
■「東京五輪音頭」は三波春夫バージョンが圧勝
「オリンピック・マーチ」がレコード化されるにあたっては3社の競作となったが、それより多かったのが「東京五輪音頭」。なんと、レコード会社8社もの競作となった。歌ったのは三橋美智也、橋幸夫、坂本九、北島三郎・畠山みどり……そんな中でもっとも売れたのが三波春夫バージョン。200万枚を超えるメガヒットとなったのである。実は作曲者の古賀は三橋を念頭にこの曲を書き上げたのだが、ふたを開けてみれば三波の圧勝だった。
この三波人気にあやかろうと、曲と同名の映画(日活)も作られた。主演は十朱幸代。三波も寿司屋の主人と本人の2役で出演した。東京オリンピックが始まる直前の64年9月に封切られたが、レコードのようにはヒットせず、取らぬ狸の皮算用で終わった。