眞子さんも…皇室の女性はなぜ叩かれ続けるのか? バッシングの歴史

公開日: 更新日:

 美しい皇太子妃に国民が高揚したのは、日本が高度経済成長だったからでもある。池田勇人首相が「所得倍増計画」を打ち上げるまでもなく給料は上がっていて、多くの国民はバラ色の未来を描いていた。美智子妃はそんな時代が求めていた人物だったのだ。

 次に皇室バッシングが起こったのは、昭和から平成に変わった時である。長く続いた昭和の時代は終わり、平成に変わると、新しい天皇は平成流の象徴天皇像を示し始めた。それが「国民に寄り添う天皇像」である。たとえば、被災地で被災者と向き合う時、ひざまずいて目の高さを同じくした。昭和天皇を知る人には、これまでの天皇像が一気に崩れてしまうほどの衝撃だったようだ。評論家の江藤淳氏は〈何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。……立ったままで構わない。馬上であろうと車上であろうと良いのです〉と「文藝春秋」で批判したほどだ。ただこれも、天皇皇后が国民の価値観に寄り添ったということで、批判はそれほど大きく広がらなかった。

 やがて1993(平成5)年に、やはり美智子皇后へのバッシングが起こる。皇后という権力を握って、宮中で居丈高に振る舞っているといったあまり根拠があるとも思えない内容だったが、バッシングの中心は長く昭和を生きた人たちで、いわば昭和のスタイルが壊れていくことに我慢がならなかったのだろう。当時はまだ平成の象徴天皇像が根付いていなかったし、のちに「失われた20年」といわれる不景気が始まった頃で、給料が上がらず、不安の時代だったから皇后バッシングに同調しやすかったのかもしれない。結局、美智子皇后が倒れ、失語症になったことで世論は変わるのだが、今回の眞子さんの場合も、状況はよく似ていたといえるかもしれない。

■関連キーワード

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    岡田阪神は「老将の大暴走」状態…選手フロントが困惑、“公開処刑”にコーチも委縮

  2. 2

    肺がん「ステージ4」歌手・山川豊さんが胸中吐露…「5年歌えれば、いや3年でもいい」

  3. 3

    巨人原前監督が“愛弟子”阿部監督1年目Vに4日間も「ノーコメント」だった摩訶不思議

  4. 4

    巨人・阿部監督1年目V目前で唇かむ原前監督…自身は事実上クビで「おいしいとこ取り」された憤まん

  5. 5

    中日・根尾昂に投打で「限界説」…一軍復帰登板の大炎上で突きつけられた厳しい現実

  1. 6

    安倍派裏金幹部6人「10.27総選挙」の明と暗…候補乱立の野党は“再選”を許してしまうのか

  2. 7

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  3. 8

    79年の紅白で「カサブランカ・ダンディ」を歌った数時間後、80年元旦に「TOKIO」を歌った

  4. 9

    阪神岡田監督は連覇達成でも「解任」だった…背景に《阪神電鉄への人事権「大政奉還」》

  5. 10

    《スチュワート・ジュニアの巻》時間と共に解きほぐれた米ドラフト1巡目のプライド