香川照之氏の生謝罪で「不快」なるワードに感じた危うさ 性加害への認識が古いのではないか
がしかし、ぼくはそこで複数回使われた「不快」なるワードに危うさを感じた。性加害についての認識が古いのではないか。不快な思い。不快感。不快に思われたのでしたら。「不快」というワードを含む表現は、政治家や企業トップが不祥事や失言の際に多用する。一見良心に訴えているような印象を与えるが、今回はそこが間違っている気がしてならない。
例えば万引って、もうそれだけでアウトですよね。相手が不快かどうかは関係ない。行為自体が犯罪だと誰もが認識している。たとえ被害者が億万長者で、盗んだのが100円玉ひとつだったとしても。その犯罪を大目に見てくれるかどうかは、また別の話。
報道を見るかぎり、ホステスの女性に香川さんがしたことは、その事実だけですでにアウト。「不快」かどうかではない。もちろん「銀座だから」でも「銀座なのに」でもない。同意なく他人のカラダに触ってはいけない時代にぼくたちは生きているのですから。クラブの高い料金にも「同意なきボディータッチ代」は含まれていない。わかってんのかなTBSは。
ところで、謝罪における「不快」には「不徳」がセットで付いてくることが多く、そのたびにぼくは鼻白んでしまうのだが、香川さんの謝罪に「不徳」は出てこなかった。安直に紋切り型の表現に頼らない姿に、窮地にあってもさすがは香川照之! と自著での名文家ぶりを思い出した。
でもその後にのぞいた所属事務所の公式HPでは、誰が書いたか「全ては本人の不徳の致すところ」という政治家ライクな常套句が出てきてゲンナリ。彼の抱える孤独を案じたのでした。改めるべきところは改めて、またテレビに戻ってきてほしい。切に。