dj honda本人に訊いてみた いつも何かに怒っていた若き日を今どう思うか
入場曲にラップ曲を使うほどのヒップホップ好きで知られたイチロー選手。大リーガーになる前の彼が「h」のロゴ入り野球帽をよくかぶっていたのを覚えているだろうか。「h」は日本を代表するヒップホップDJである、dj hondaこと本田勝裕さんのファッションブランド。過熱するイチロー人気とともに拡大し、1999年には帽子が約30万個、バッグや時計などを含むブランド全体としてはなんと約100億円の売り上げを記録した。
hondaは80年代にロックギタリストを志して北海道から上京後、DJに転身。後のTRFのリーダー、DJ KOOとグループを結成して早見優のバックでテレビ出演した時期もあるが、90年代初めに自分の音楽性を追求するべく渡米した。98年には錚々たるラッパーと共演した作品が全米チャートにランクインという、日本人DJとして前例のない快挙を達成。数回の世界ツアーも経験している。
渡米前の彼とぼくは同じ番地に住み、一緒にイベントをやる間柄だった。普段は飾り気がなく心優しいhondaが、この国の音楽と音楽業界の話題になった途端、別人のように激しく怒りだす姿は今も強く記憶に残っている。20年近くをアメリカで過ごした後は、札幌に腰を据えて活動を続けてきた。最近では彼に憧れて音楽を始めたような年少のラッパーたちのサポートにも精力的だ。