第2次安倍政権で「報道の自由度」は急降下…メディア制圧の数々を振り返る
2006年に発足した第1次安倍政権はわずか1年の短命に終わった。不祥事や問題発言により閣僚の辞任ドミノで失速した。メディアが批判を繰り広げたのも大きかった。
その失敗を教訓に第2次政権ではメディアへの圧力を強めた。放送法4条の「政治的な公平」の解釈をねじ曲げるやり方だ。
14年の衆院選で自民党は、萩生田筆頭副幹事長(当時)の名で在京キー局に「選挙時期の公平中立で公正な報道」を求める文書を渡した。同時期、テレビ朝日「報道ステーション」には個別の要望書を送付した。
15年には、元経産官僚の古賀茂明氏が「報道ステーション」で「私だったら“I am not ABE”というプラカードを掲げて、『日本人は違いますよ』ということを、しっかり言っていく必要があるんじゃないか」と発言し、降板に追い込まれた。
同年、TBS系「NEWS23」でアンカーを務める岸井成格氏が「安保法案は憲法違反で、メディアとして廃案に向け、声を上げ続けるべき」と発言。全国紙に意見広告が掲載される事態に発展し、翌年春、交代となった。