中森明夫氏の新刊「TRY48」は父親殺しの書でもあり、昭和へのレクイエムである
虚実ないまぜとはこのこと、事実と妄想が織りなすまだら模様こそは、著者の企みと筆力の見せどころ。物語終盤、それぞれ80代後半と90代後半の寺山と三島は対談を行い、丁々発止のやりとりを展開する。一部を以下引用しよう。
寺山「中上(健次)は46歳で亡くなったんですね。僕が47歳、三島さんが45歳で死に損なったのに」
三島「ああ、そうか、小説はともかく……人間としては、ほら、大江くんなんかよりよっぽど面白い奴だったけどなあ」
実際に寺山が亡くなったのは1983年の5月だが、同年7月にデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』で初めて芥川賞候補に挙がり、惜しくも落選した島田雅彦についてはこんな具合。
寺山「三島先生は、島田雅彦という作家をご存じですか?(略)芥川賞を受賞しました。22歳。当時の最年少受賞者ですね。受賞発表の夜にパーティーの二次会の後、呑み屋の階段から転げ落ちて、頭を強く打って死にました」