バブル期の狂騒と終焉は「新しめの昔話」ではない 現代と地続きの「終わりのない物語」だ
以降の彼女は同クラブ会長として声明やコメントを連発する。当初そのことには少なからず驚きがあった。なぜなら、桐野夏生は社会的弱者である女性たちの窮状や憤りをあくまで小説というカタチに落とし込むことで、現代社会が抱える問題をいくつも浮かび上がらせてきたからだ。弁当工場のパート主婦4名が自由を求めて行動を起こす初期代表作『OUT』、名門女子高内のヒエラルキーに現代の宿痾を見出す『グロテスク』のように、桐野作品にはシスターフッド(女性同士の連帯)を描いて優れたものがいくつもあるが、それらは例外なく小説形式を必要としていたと感じる。小説という矢でこの国を撃つ、とでもいうような。同世代の作家で一時はよく比較もされた髙村薫は、小説に加えてストレートな提言という形で社会と対峙するようになって久しいが、両者の表現の違いは生き方の違いであるかのようなイメージを双方の読者として抱きつづけてきた。