吉本興業前会長・大﨑洋さんに「新喜劇やん。書けるやろ?」と言われて今の自分がある
前々回、初対面でいきなり「いくくる(今いくよ・くるよさんの台本)書いたってや」と声をかけられそのまま「いくよ・くるよ」さんの楽屋に連れて行かれ、長年書かせていただくきっかけをつくってくださった大﨑洋前会長の続きを。
大﨑会長はとにかくやると決めたら即実行の方。吉本新喜劇を担当されていた当時「吉本新喜劇やめよっカナ? キャンペーン」の最中の1990年1月末に、本社の廊下のすれ違いざまにいきなり「本多君、芝居書いてや」。
あまりに突然だったので「芝居ですか?」と聞き返すと「新喜劇やん。書けるやろ?」「書いたことがないですけど……」と逡巡する私に「自分(君は)コント好きやん」「はい、コントは好きですけど45分の芝居が書けるかどうか……」「大丈夫や。一景、二景、三景、15分コントの3段積みや。書ける書ける~。とにかくいっぺん書いてみ。なんでも経験や」とすぐに現場担当者のところへ行くように言われ「頼むで~」と行ってしまわれました。
ワケもわからず担当者のところへ行くと「君が本多くんか。大﨑さんから聞いてる聞いてる。しっかり書いてや。これがスケジュールや」と2月のポスターを見せられ、3週目か4週目に「作・本多正識 演出・檀上茂 タイトル未定」と書かれていたのです。