【追悼】もんたよしのりさん 最後の日まで貫いた渾身のロック魂…原点は神戸のダンスホール
「曲づくりではメロディーを優先して、デタラメの英語の歌詞で歌っていたそうです。サビになったところで、ふっと口をついて出たのが♪ダンシンオールナイト~という、あのフレーズだったそうです」
あがってきた曲のアレンジが気に入らず、もんたさんは「もっと古めかしい、キャバレーとかで鳴っていたような響き」を求めたという。「淡い」思い出にこだわり、レコーディングには頭から水を浴びて臨んだ。渾身の作品だった。
「歌謡曲として大ヒットしましたけど、ロックのスピリットが流れているとおもいます。それを世間一般に橋渡ししたとも言えるのではないでしょうか」と加藤氏は言う。
2021年にデビュー50周年を迎えた際、もんたさんは「激動やったとおもう。いろんな価値観が完全に変わるくらいの。価値観を変えに行った50年だったかも知れん」などと振り返っていた。
しかし、立ち止まりはしない。コロナ禍でライブもできず、音楽活動から遠ざかりそうになったときは、発声練習からはじめて、ボーカリストとしての自分を見つめ直した。