大人の恋愛を構成するものは、恋愛感情だけではない。だからおもしろい
軽井沢在住の作家・小池真理子さんを訪問したと報告した4月の本連載で、「一編の小説を書くのはそれだけで貴重な人生経験」と記した。これはぼくが一昨年(2021年)に上梓した初めての長編小説『永遠の仮眠』の執筆中、日々実感したこと。人知れず秘密の家庭に通いつづける気分というか。その後ろめたさや疚しさには抗いがたい快感があった。真理子さんも夫の藤田宜永さんも、紡ぎだす物語に大人の疚しさを織り込む名手だった。
小説執筆を自分に勧めてくれた初めての作家である藤田さん亡きあと、〈二人目の作家〉白石一文さんの「かけがえのなさ」の重みは計り知れない。ありとあらゆる小説技法を備えて死角のない小説家。執筆に手詰まりを覚える瞬間はないのだろうか、と本気で考えてしまうほどのハイペースで次々と新作を生みだし、どれもがハイクオリティときている。白石さんもまた作品に「大人の疚しさ」を織り込むことに自覚的なのは、ぼくにとってきわめて重要。なぜならそのおかげで、自分は小説という世界に飽きたり幻滅したりせずに済んでいるかもしれないのだから。