【追悼】八代亜紀さんの歌手人生は「しあわせ返し」…「いつもありがとう」が口癖だった
演歌歌手の八代亜紀さんは膠原病の一種である指定難病を患い、昨年9月からの療養期間中も傍らで支えるスタッフや医療従事者たちに「みんなありがとう」と感謝を伝えていた。昨年12月30日、73歳で逝くときまで。
「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」とのご両親からの教えを体現し続けた。そうした所属事務所からのコメントを読んで、その歌手人生を語っていただいた連載取材時のことが蘇ってきた。
「しあわせ返し」と八代さんは言っていた。
「21歳でデビューして、ずっと売れなかったわたしが『なみだ恋』という大ヒット曲に恵まれ、少年院の慰問をスタートした1973年から、いつも使っている言葉なの」
それをタイトルにした連載は2012年3月スタート。まだ還暦をすこし過ぎた頃であったが、八代さんは常人では考えられないようなスケジュールをこなした後であっても、笑顔で迎えてくれた。そしてどんな質問にも即座に答えてくれた。情景まで覚えている記憶力に驚かされた。
熊本県八代市に生まれ、小5のとき運送会社経営のお父さんから「ほら」とプレゼントされた一枚のLPレコード。それは「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」などの米歌手ジュリー・ロンドンのアルバムで、歌手になると誓った日のこと。
「よーし、私がクラブシンガーで一流になって、お父さんが従業員の皆さんに楽にお給料を払えるようになるんだって」
拳を握り、遠くを見つめる当時のまなざしになってしまう。
中学卒業と同時に地元のバスガイドになったけれど、夢は抑えきれず、アーケード通りのキャバレーで歌い始めた。やがてそれはお父さんの耳に入り、「どうして、そんなもっこす(頑固)か」と雷を落とされ、ちゃぶ台をひっくり返し、頬を張られながらも、こう言い返した。
「お父さんの娘だからよ!」