岡田有希子さん衝撃の死から38年…所属事務所社長が語っていた「日記風ノートに刻まれた真相」
筆者は当時、峰岸さんが住んでいた自宅周辺の取材をすると、峰岸さんは離婚して、引き取った子供を溺愛。可愛がる姿が頻繁に目撃されていた。近所の住民からは「峰岸さんは若い女性を弄ぶような無責任な人ではない」という声が圧倒的だった。
「有希子はデビュー前から僕の自宅で下宿していたんですが、デビューして売れ始めたんで一人暮らしを許した。その3日後に有希子が住んでいた部屋に酒井法子が入ってきたんです」
当時こう話した、岡田さんの“育ての親”であるサンミュージックの会長だった故・相澤秀禎氏(2013年に83歳で没)は、「自殺する3日前に僕のうちに有希子が食事に来たんです。なんとなく元気がないから、“お前がこれからうちの会社を背負って行くんだから、頑張らなきゃだめだよ”と言うと“私なんかもう、ダメだから、後にいい子(酒井法子のこと)がいるじゃない”と暗い話になったんです」と、自殺前の様子を筆者に語ってくれた。
岡田さんは4月8日の早朝、自宅でガス自殺とリストカットを図ったが未遂に。危険を察した事務所は岡田さんを事務所に連れて来た。前出の相澤会長は、「僕が歯医者から戻ると事務所のビルの下が大騒ぎしていました。僕を待っている間、朝の自殺未遂について僕に何か言われるのが嫌で、屋上から衝動的に飛び降りたんだと思ったんです。理由は分かりませんでした。しかし、有希子が残した1冊の日記風のノートが発見された。それを読んで、自殺の真相が理解できました」と話している。