小林聡美さんが表現者として「年を重ねる」とは… 《等身大》と呼ばれることへのちょっとした反発も
原動力は食事、心がこもったものを
──俳句づくりもしていますね。
エッセーや小説は何ページも書いてひとつの世界を表現しますが、俳句は17文字で映像を浮かび上がらせたり、心に響くものがつくれたりする。ミニマムな言葉で表現できるところが魅力的ですね。昔から興味はありましたが、もっと年を取ってから始めるものだと勝手に思っていました。落語に興味を持つようになり、噺に俳句が出てきたり、句会を開いている噺家さんが多かったりしたんです。その実録本を読んでみたらとても面白くて、ハードルが高いと思っていた私にとってゲーム感覚で遊んでいるように感じられた。これなら私にもできるかも、と思って友人たちと句会を始めました。俳句を始めたことで、季節感をより深く味わえるようになりました。
──時代の流れのキャッチ、情報収集はどうやって?
自分の見えているものって本当に範囲が狭いなと思っています。一方で、不便なくひとまず毎日無事に過ごせているので、これ以上、何か情報が必要なのかなと思うことも。だからこそ、私みたいな「等身大」の人間は、いろいろ見た方がいいんじゃないかと。ラジオを聴いたり、テレビでニュースを見比べたりはたまにしますが、仕事場でお会いする方々や、周りの友人に話を聞くことの方が多いかもしれません。いかにもウソやデマみたいなものに振り回されるのは悔しいので、何となく世の中の雰囲気を気にしながら、ざっくり把握している感じですね。
──「団地のふたり」では「50代」というキーワードが出てきます。ご自身にとって「年を重ねる」とは?
年を重ねることは自然なこと。皆、同じように重ねますし、隠すつもりもありません。年を取ったからといって、守りに入るという意識は特にないですね。守るのは健康な体くらい。かといって、挑戦し続けてやるという気概があるわけでもないのですが、年を取れば活躍のフィールドは若い頃と変わるものです。その時その時の出会いや仕事に、楽しみながら一生懸命向き合うだけのことだと思っています。若い頃の後悔も全然ありません。むしろ、いろいろな経験を積んでおいた方がいいですよね。経験こそが宝物ですから。
──そのエネルギーの源は?
食事ですね。以前、悩みを抱え、生きる目標を失った人たちを迎え入れる「森のイスキア」という青森の施設に取材に行ったことがあります。主宰者の佐藤初女さんが握ったおにぎりなどの手作り料理を食べることで、自殺まで考えた人が考えを思いとどまり、立ち直ることができたそうなんです。私もおにぎりを食べさせてもらいました。大袈裟でなくとも心のこもったものをお腹いっぱい食べることで、満たされる。ただそれだけなんです。弱っている時って、どこか栄養が足りていないんですよね。あと何か悩みがあるのなら、すでに起こったこと、過ぎたことを気にしない、考えすぎないことです。私の場合、その時は「うわっ」とは思いますが、あとはもう考えないことにしています。
──食事の描写も多い「団地のふたり」では、ノスタルジックな空間でアプリを駆使するなど、現代的な暮らしぶりが印象的です。
今はテクノロジーの発達で便利な世の中ですが、やっぱり人との触れ合いや人力というものは心強いです。目に見えて肌で感じられるのは何より安心感があります。ドラマでは人力と利便性のハイブリッドのような世界を実現できているようにも思います。高齢化社会や認知症、ジェンダーの問題などにもさりげなく触れていますが、ハートウオーミングな形で届けられているのかなと。私個人が考える理想的な暮らしは、当たり前ですが、好きなことだけして暮らすこと。とはいえ、やりたくないことも、時にはやらなきゃいけないんですけどね。
(聞き手=勝俣翔多/日刊ゲンダイ)
▽小林聡美(こばやし・さとみ) 1965年、東京都生まれ。82年、映画「転校生」でスクリーンデビュー。主な出演作品に、ドラマ「やっぱり猫が好き」「すいか」、映画「かもめ食堂」「紙の月」「ツユクサ」など。今年3月、3年ぶりのエッセー集「茶柱の立つところ」を上梓するなど著書多数。