夏木ゆたかさん ラジオ番組「ホッと歌謡曲」は26年目 6000回以上続けている原点
津山洋子さんが実家まで来てくれた
高校に入ってから、知り合いのつてで「新宿そだち」が大ヒットした津山洋子さんの事務所を紹介してもらい、学校が終わると北千住から事務所があった歌舞伎町まで毎日通いました。その時代の貴重な写真が残っています。
津山さんがわざわざ銚子の実家まで来てくれたんです(写真右)。まだ「新宿そだち」がヒットする前なので近所の人は「大きな車が止まってるね」というくらいの反応でしたが僕の出発点ともいえる貴重な一枚です。
■スターの写真やグッズに豆電球をともした2畳半のアパート
転校してから住んだのは北千住の家賃が2000円の2畳半のアパートです。隣の部屋との境はべニヤ一枚。住んでいたのは消防署長の娘さんです。今ならありえないですよね。部屋は畳2枚に半畳の上は押し入れ。そんな狭い部屋でも銚子の田舎を出て初めて借りた部屋だから夢のような気分。母親が泊まりに来たことがあって、あまりの狭さに「うちに帰ればいいのに」と言ってたかな。
そんなアパートですから高校生といってもカバンも教科書も学校に置いたままです。津山さんの事務所に入ってからは一緒に地方を回ってステージの前歌を歌ったりしていました。だから部屋にあるのは津山さんのファンが持ってきたレイや、平凡、明星といった芸能雑誌に載っていた歌手の切り抜き写真とか。それを天井や壁にベタベタ貼って、そして豆電球を買ってレイを巻き付けて電気をつけ、スターのグッズや写真に囲まれた夢いっぱいの部屋で過ごしました。今の僕につながる原風景です。
卒業するまでに一度引っ越しました。最初の大家さんの親戚の人が貸している部屋で、そこは家賃が3000円。広さは3畳で前よりもちょっと広くなり、一緒に移動した豆電球も夢いっぱいに光り輝いていました。