「空手バカ一代」(全29巻)梶原一騎原作 つのだじろう、影丸譲也作画
「空手バカ一代」(全29巻)梶原一騎原作 つのだじろう、影丸譲也作画
週刊少年マガジンで「空手バカ一代」の連載が始まったのは1971年。扇情的に《これは事実談であり…この男は実在する!!》と巻頭言でうたってあった。
極真空手の創始者・大山倍達を描いたこの漫画は爆発的にヒットし、池袋の極真会総本部前には入門希望者が連日列を成した。
当初から完全なノンフィクションとして連載されたが、後年多くの者が指摘したように、実際には事実とフィクションが混交しており、その割合はむしろフィクションに大きく傾いていた。
そもそもの設定からして「大山倍達は特攻隊生き残りの国士」として描かれているが、実際は大日本帝国統治時代の朝鮮半島出身である。これは物語の根底を壊してしまうほどの虚偽であり、のちのちまで語られるさまざまな国士エピソードが、いま再読すると、滑稽にも見えてしまう。しかしそれをもってこの漫画の価値は下がりはしない。
空手人気を沸騰させたこの漫画の役割は、世界の格闘技史を塗り替えるほど大きなものだった。十数年前になるが、東大教授(当時)の松原隆一郎先生と2人でお茶を飲んでいるとき「影響力としては聖書に次ぐくらいの力があったのではないか」という話になった。大袈裟ではない。
極真空手の実戦力が反政府運動に使われることを恐れたソ連政府が練習を禁止したともいわれた。銃器レベルで危険なものと見なされたわけである。冷戦時代の共産圏でこのように扱われるほど極真は世界に広がったのだ。
だが逆にこの漫画のヒットによって極真会内部に人間関係のきしみを生み、後の組織分裂を呼び込むことになる。
大きな原因は梶原一騎が連載後半から主役を大山倍達から弟子たちへと変えていったことだ。大山茂、中村忠、山崎照朝、芦原英幸、盧山初雄、佐藤勝昭、東孝らが読者に支持され、人気面で師の大山に肩を並べていく。
これをよく思わなかった大山倍達は梶原一騎に抗議した。しかしこの抗議がストレートではなく、弟子を使ったりしたので余計にこじれていく。いさかいは多くの極真人を巻き込み、やがて大山倍達の逝去で組織が分裂した。
しかし梶原一騎と「空手バカ一代」、そして大山倍達の巨大さを忘れることだけはあってはならない。われわれはあの時代、あの作品から多くの勇気をもらったのだ。
(講談社 品切れ重版未定)