夏木ゆたかさん ラジオ番組「ホッと歌謡曲」は26年目 6000回以上続けている原点
■世界チャンピオン柴田国明と出会った東大久保の4畳半のアパート
僕のついのすみかになる新宿に引っ越すのは高校を卒業した時。最初は新宿の東大久保です。広さは4畳半。初めてのトイレ付き。友だちがよくトイレを借りに来ました。
ここで不思議な出会いがありました。ボクシングの世界チャンピオンになる柴田国明さんが近所にいたんです。僕がアパートの前でバットの素振りをしていると、犬の散歩をしている、犬よりも小柄な人がやって来て「ボクシングの世界チャンピオンになるんだ」と言うんです。それである日、テレビを見てたら挑戦者がチャンピオンを倒して勝っちゃった(1970年、WBC世界フェザー級チャンピオンに)。よく見たら柴田です。「アイツだ」って。
試合の翌日、彼がまた犬を連れてやって来たので「おめでとう」と祝福しました。
この頃の僕は津山さんの事務所を離れて20歳で川口豊という名前で「愛のかけら」でデビューしました。そして大阪から東京に進出してきた西野バレエ団に売り込んで事務所に所属し、奈美悦子さんほかの司会などをしましたが、ダメになると、次に銀座三越にあった歌謡ショーのステージに売り込んで採用してもらい、司会をやることに。柴田の活躍を見て、俺もバットを振ってるだけじゃないぞと奮い立っていたんです。
そんな僕を知っている近所の不動産屋に「スター歌手になるなら、もっといい部屋を借りてパリッとやんなきゃ」と言われ、部屋を紹介されます。それが新宿ゴールデン街入り口付近にあったホテルの隣の6畳のアパート。とりあえずそこに1泊し、翌朝目が覚めて窓を開けたら都電が走っていた。敗戦前にあの辺を走っていたトロリーバスです。電車のお客さんが一斉に僕の方を見ている。不動産屋さんが「きちんと雨戸を閉めて。朝は早く起きないように」と言った意味がわかりました。そのアパートは階段を下りたらゴールデン街ですから、ゴールデン街の常連だった、作家の田中小実昌さんが歩いている姿なんかをよく見かけました。
三越で仕事をし、新しい仕事の売り込みをしながら、嬌声の街、ゴールデン街に帰ってくる。地方から帰って来た時に仕事仲間から「どこに帰るの?」と聞かれ、「歌舞伎町」と答えると、「毎晩遊んでいるんだね」なんて言われたかな。その頃は芸能人としてもっとも動いていた時期で、10年間そのアパートで過ごしました。
■「ルックルックこんにちは」「女ののど自慢」が転機
仕事は「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)の「女ののど自慢コーナー」の司会を、なべおさみさんに代わって担当したことが大きかったですね。それが10年続きました。それからワイドショーやバラエティーにたくさん出るようになりました。
住まいはゴールデン街の次はちょっとの間、門前仲町にいて、また新宿に戻り、それからはずっと新宿です。今のマンションももう20年近くなります。所属事務所が7回変わり、レコード会社も6回変わりましたが、新宿には住んでからかれこれ60年近いですね。
「夏木ゆたかのホッと歌謡曲」は今年で26年になります。放送回数は6000回を超えました。
70歳まではいつどうなるかわからない芸能界、毎日不安を抱えながら、一人が気楽と頑張ってやってきましたが、もうそろそろいいかなと肩の力が抜けて、以前付き合っていた彼女に「まだその気がありますか」と聞いたら、「いいですよ」と言われたので婚姻届を出しましたが、一緒には住んでいません。月曜から金曜は約束通り仕事優先です。僕は今借りている部屋で過ごし、基本、土日は一緒に過ごして、月に2回は一緒に食事をします。
彼女もそれでいいと目下、納得してくれて、2人のスタイルとして、日々を過ごしています。
(聞き手=峯田淳)