急逝した山田亮さんの思い出…悩んでいた広島訛りには「気にせんでええよ」とアドバイスしていた
山田君は高校を出て広島でホテルマンとして4年間働き、大卒と同じ年齢になったから、「違う人生もあるかな」と退職し、車で本州一周を計画して回っている時にたまたまスポーツ紙で「吉本新喜劇オーディション」の記事を見つけて「話のタネになるかな」ぐらいの気持ちで受けたら合格。「大阪弁もしゃべれんし、なんで受かったんかわからないんです」と笑っていました。
吉本新喜劇は座員一同が“ファミリー”のようで運命共同体でもあります。有名なギャグ「ごめんクサイ」はチャーリー浜さんの言い間違いを、新喜劇のメンバーがいじって生まれました。芸人みんなの「お客さまに笑ってもらうんだ」という意識が徹底しているので、ネガティブを全員でポジティブに変えていくチームワークがすごい舞台です。ですから山田君の広島訛りも生かしてくれたのだと思います。
元ホテルマンなので、人一倍礼儀正しく、対応も大人で人当たりも良く、後輩にも慕われていたと思います。「お客さんが喜んでくださるのがうれしいですね。新喜劇に入って良かったです」と笑顔で話していた山田君がいないことが今も信じられません。これからもっといろんな役をやって、お客さんの笑顔を見たかっただろうと思うと本当に残念です。
天国ではデビュー当時、厳しくも優しく指導してくださった先輩方に「来んのん早すぎるわ!」とツッコまれながら新喜劇談議に花を咲かせていることでしょう。