4回目の手術前に遺書 仁科亜季子が振り返る壮絶がん治療
それでも今があるのは“運がいい”んだと思うんです。こういうのって病院や先生との相性、いろいろな偶然の重なりがあるでしょう? 私の場合はうまく転がっているな、と思っています。
そんな中でもいちばん印象深いのは、やはり最初の子宮頚がんのときのことです。私は38歳でした。2人の子供を連れ、親しくしているご家族と一緒に旅行に行ったんです。そこでひどい食あたりになったことが発見のきっかけになりました。
帰国後、かかりつけの病院を受診した際、ついでに「最近、生理不順なんですけど、更年期でしょうか?」と相談してみたんです。「それじゃ検査してみましょう」という流れで偶然がんが見つかりました。後から先生に聞いた話では、「あの時に見つかっていなかったら2年ぐらいの命だったかも」とのことでした。
ステージでいえば1~2の間でしたが、がんには“顔立ち”や“性格”があるらしくて、私のはひねくれもので、やんちゃだったみたいです。そのため、子宮、卵巣、リンパ節まで全部摘出となりました。当時はまだ「がん=死」というイメージが強かったので、手術に迷う余地はありません。まして子供は8歳と6歳です。先生に「何が何でもあと10年は生かしてください!」とつかみかからんばかりでした。