一時は絶望のドン底…ノブナガ岩永達彦さん語る機能性難聴
「病院行きますか?」という文字にうなずいて病院まで付き添ってもらったんですけど、町の小さな医院ではあまり例がなかったのか、先生たちも慌てている様子でした。そして後輩が医者に懇々と叱られていました。後から聞いた話では、「なんでこんなになるまで放っておいたのか」ということだったようです。
「今日も仕事があるのでなんとかしてほしい」とボクの意向を伝えると、「仕事どころじゃありません」とまた後輩が怒られていました。そして次に医者が紙にこう書いてボクに見せてきたんです。
「天下分け目」
いや、何? その前に病名教えてって感じでしたけど、その医者的には障害者になるかならないかの天下分け目を意味していたようです。
■「聞こえない」病気なのに母親が電話してきた
すぐに大きな病院の耳鼻科を紹介されて、聴力検査や脳波などを測り、器質的には正常であることがわかりました。つまり、原因は精神的ストレスです。病名は「機能性難聴」で、ほぼ両耳は聞こえておらず、日常生活も難しい状態との診断でした。精神科でも診察があり、そこでは適応障害とか、うつ寸前とか、いろいろあって「とにかくノンストレスな生活をするように」と言われました。仕事はドクターストップになり、処方された薬を1週間ほど飲みました。