山県有朋の「徴兵令」に旧士族と庶民が激しく反発した理由
近代日本の軍事について、山県有朋の果たした役割は大きい。彼は明治2年に長州藩から海外視察の命を受け、ヨーロッパのいくつかの国の軍事について見聞している。そこで自覚したのは、日本の近代化は単に西洋の事物について学ぶだけでなく、天皇を立てての国づくりにあるという確信であった。
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