真中監督の手腕評価の権藤氏 「自主性」野球の“落とし穴”忠告
恐らく、真中監督も似たような心境ではなかったか。実はシーズン中から私は、真中監督に勝手にシンパシーを抱いていた。
ベンチでの采配、たたずまいから、「グラウンドの主役はあくまで選手で、監督、コーチは黒子。黒子の仕事は主役を光らせること」という私の考えに通じるものを感じていたからだ。
現役時代、真中監督は外野手だった。外野手というのは、例えば試合中にピンチを迎えてマウンド上に内野手が集まっても、遠くからそれを見ていることしかできない。ポジションの性格上、傍観者にならざるを得ないケースが多いが、それが客観的に野球を見るという、指揮官として大切な資質を自然と磨くことにつながったのだろう。ピンチでも顔色ひとつ変えず、ジッと腕組みをして泰然としている真中監督の姿は、試合が始まったら選手の力を信じるしかないという、いい意味で傍観者としての落ち着きが感じられた。
今後が楽しみな青年監督の誕生と期待しているが、最後に一つだけ忠告を。98年に優勝したベイスターズが翌99年に3位に終わると、私が打ち出した「奔放野球」は「放任野球」と批判されるようになった。放任は「成り行きに任せてほうっておくこと」で、奔放は「伝統や慣習にとらわれず、思うままに振る舞うこと」。まったく意味は違うのだが、持ち上げられた「自主性の尊重」は「何もしない」ことになって叩かれた。