ボストンマラソン優勝の川内優輝「プロ宣言」の衝撃と計算
■陸連方針へのアンチテーゼ
そもそも持久走は秋から春の種目。日本陸連も夏のマラソンは邪道だと80年代の世界選手権には宗兄弟、瀬古、中山らを派遣しなかった。
それが91年の東京の世界陸上から手のひらを返したようにメダル至上主義にはしり、いまや2020年夏に向けてなりふり構わぬ本末転倒ぶりである。ボストン優勝は、陸連の方針へのアンチテーゼである。さらに、川内は帰国した空港で、埼玉県庁職員を辞しマラソンに専念するとプロ宣言した。生ぬるい実業団環境に馴染んだ選手には耳が痛い話だろう。いまの選手は寺沢徹や君原健二のころと違い、元日のニューイヤー駅伝だけが仕事のような競技生活を送っている。1年を1日で過ごすよい男――これまでも市民ランナーの星・川内にやられっぱなしで、「おまえはアマかプロか、どっちなんだ」と改めて突きつけられたようなものだ。もちろん川内にも計算はある。ボストンのビッグタイトルがあれば、世界中からオファーがあり、出場交渉も可能だ。先頭集団はアフリカ勢ばかりの現状に日本人ランナーは貴重ということも織り込んで、ここぞとばかりに勝負を仕掛けたのだ。