高校野球の球数制限問題 「戦力均衡」なんかどうでもいい
なるほど、一瞬納得しそうな理屈だが、途中でふと疑問に思った。高校野球がもつ情緒的なドラマ性(エンタメ性)や、戦力の均衡問題(公立校のモチベ維持も含む)などといったことは、そもそも高校野球の大義である「教育の一環」としては死ぬほどどうでもいいことなのではないか。特に戦力の均衡は先述したエンタメ性を維持するための措置であるから、そんなものが教育的見地に立った「青少年の健康被害」より優先されるべきではない。高校野球はあくまで部活動だ。教育者の使命は、部活の勝利よりも生徒の安全管理だ。
■私は賛成派
よって、この議論は今のところ噛み合うわけがない。球数制限賛成派は教育論で語り、否定派は野球論で語っている。賛成派は高校野球を部活動のひとつと捉え、否定派は高校野球を何か特別な人気コンテンツだと捉えている。ここが欧州なら風刺マンガにされそうなほど滑稽な対立構造だ。
なお、私は球数制限賛成派である。高校の部活動教育なのだから当たり前だ。本人に投げたい意思があったとしても、未成年の直情的な判断を教育的な見地で制限するのが外野の大人の務めだ。