高校野球の球数制限問題 「戦力均衡」なんかどうでもいい
高校野球の球数制限問題が紛糾している。新潟県高野連が今春の県大会で1人の投手の1試合あたりの球数を100球に制限するルールの導入を発表したところ、日本高野連が再考を要求。これによって、同問題は賛否が入り乱れる激しい議論を呼ぶことになった。
賛成派の意見として主だったものは「青少年への健康被害」だ。これまで、高校野球特有の玉砕賛美的な感動ポルノの風潮にのまれて過剰な球数を投じてきた10代の少年のうち何人もが、その後に肩や肘に深刻な後遺症を負った。もちろん、なんの異常も見られなかった投手もいるのだが、そういう幸いなケースを隠れみのにして、その背後に横たわる多くの故障者に目を向けないのは教育者のやることではない。うがいや手洗いをしなくとも風邪をひかない生徒がいるからといって、うがいや手洗いの不要を指示する学校はないだろう。
一方、否定派の意見は高校野球人気を支える情緒的なものが多い。要するに、昨年の金足農・吉田輝星のような激投があるから高校野球は感動的なのだ、とする論調だ。
また、プロ野球OBの里崎智也氏は日刊スポーツの連載コラムにおいて、高校野球の戦力均衡を理由として同問題に否定的な意見を表明した。確かに、球数制限が導入されれば1チームに複数のエース級が必要になるため、選手層が厚い私立の強豪校が有利となり、公立校の躍進はほとんど見られなくなるだろう。戦力格差の広がりは、公立校の勝利へのモチベーション自体を奪う結果につながるかもしれない。