パ・リーグのDH制導入のきっかけになった米国人記者の指摘
高井さんに特別な目を向けていた米国人ジャーナリストがいた。SPN特約記者を務めていたネイト・マイヤーズである。すでにメジャーのア・リーグでは、指名打者制(DH制)を敷いていた。マイヤーズはそれを引き合いに出し、「プロ野球もDH制を導入すべき」と主張。さらに、代打要員という理由だけで460万円に抑えられていた高井さんの年俸に疑問を呈しながら、「高井選手と“指名打者制”」と題する記事でこう強調している。
<さしずめ、高井選手あたりは屈指の候補者である>
パ・リーグがDH制を取り入れたのは、マイヤーズがこの記事を書いた翌1975年だった。結果を残しても年俸が安く、依然として代打要員という矛盾。米国人ジャーナリストが発信した先鋭的な指摘が、日本のDH制導入の大きな引き金になったこと自体、「一振り」に生きた高井さんの存在と無縁ではない。
もっとも、DH制の導入に伴って皮肉なことも起きた。76年4月の日本ハム戦で、サヨナラ打となる20本目の代打本塁打を記録したのを境に、高井さんの代打本塁打が以後、4年にわたって途絶えたことである。代打要員から指名打者への昇格が、すべての理由だった。