《オレの人生まあまあだったなあ》と突然言われ…ベテラン相撲記者が明かす元横綱・北の富士さん秘話
元横綱・北の富士勝昭さん(本名・竹澤勝昭)が12日に亡くなっていたことがわかった。享年82歳。横綱経験者としては明治時代の初代梅ケ谷の83歳4カ月に次ぐ長寿だった。
北海道旭川市から単身上京し、出羽海部屋に入門。1957年1月場所で初土俵を踏むと、6年かけて十両に出世。64年に新入幕を果たし、66年に大関、70年に横綱に昇進するなど、出世を重ねた。現役時代の優勝は10回ながら、角界では「ライバルである横綱・玉の海が急死しなければ、もっと優勝していたはず」ともっぱらだった。
引退後は独立して井筒部屋を興したのち、九重部屋を吸収合併。九重親方として、千代の富士、北勝海(現八角理事長)の2横綱などを育てた。相撲協会退職後は、長らくNHKで解説者を務め、歯に衣着せぬ発言でお茶の間に親しまれた。
時事通信社記者として長年大相撲を担当し、時事ドットコムで「土俵百景」を連載していた若林哲治氏が、北の富士さんの取材秘話をこう明かす。
「本当の意味でユーモアにあふれた人でした。面白い話で周囲を笑わせていましたが、他人をからかったり、クサしたりは絶対にしない。主に話すのは自分の失敗談でした。相撲協会の理事時代、理事会があることを忘れてゴルフに行ってしまい、翌日になって公務をすっぽかしたことに気付いた。慌てて春日野理事長(元横綱栃錦)に謝罪すると、『そんなことだろうと思っていたよ』。今だったら、大変なことですよね。