外野手の完全な油断で達成した2本のランニングホームラン
野村克也監督が采配を振る1990年から、僕は一軍の試合に多く出るようになりました。
きっかけは4月21日の広島戦。セカンドの笘篠賢治さんの代打で出場した僕は、この打席でプロ初本塁打を打ちます。野村監督が「そのままセカンドに入れ」と言ったいきさつは、この連載でも書きました。
何度も言うようですが、当時の僕は捕手。アマチュアでも守ったところがないポジションなのに、普通、そのまま二塁に就かせますか? 僕もベンチも驚きましたが、対戦相手の広島は一体どう思っていたのか。「飯田って誰? キャッチャーじゃん!」と、選手名鑑をめくって仰天していたでしょう。
この年はほとんど1番・二塁で出場し、123安打、打率・279。盗塁も29個と、実質1年目にしては自分でもよくやれたなと思っています。
■助っ人獲得の不手際でトコロテン方式に…
僕の“ついのすみか”となるセンターにコンバートされたのは、翌91年のキャンプです。球団はジョニー・レイという助っ人を獲得、本来なら彼が外野の一角を任されるはずでした。