日本代表テコ入れを 国際経験値UPも手薄なポジションあり
日本サッカー協会(JFA)の反町康治新技術委員長が率いた2008年北京五輪代表の18人中17人が、A代表に招集されてプレーしたことは前回連載3回目に書いた。本人は「結果論」と謙遜するが、現東京五輪世代も本田圭佑(ボタフォゴ)らのようにその後の10年間、A代表を牽引してくれる存在になれば理想的である。その体制づくりを進めていく新委員長に対する期待は大きい。
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「北京五輪の時に考えたのは『同じ実力なら将来性の高い選手を選ぶ』ということ。吉田麻也(サンプドリア)は、その観点で選んだ。北京五輪では、もちろん勝ちに行った。でも初戦のアメリカ戦で長友(佑都=ガラタサライ)がパニックを起こしたのを見て国際舞台の経験不足を実感したんだ。あの時は佑都もオカ(岡崎慎司=ウエスカ)も、五輪本大会が初めての世界大会だった。大会を制したアルゼンチンはメッシ(バルセロナ)やアグエロ(マンチェスターC)が2005年U―20(20歳以下)W杯で優勝している。その差は大きいと感じたよ。真司(香川=サラゴサ)や篤人(内田=鹿島)は2007年U―20W杯に出たけど、五輪代表合流が遅かった。もう少し早く呼べていたら、結果も違っていたかもしれない。そういう反省は生かさなきゃいけないよね」