「エンターテインメント」と「ナショナリズム」のバランスを探る作業には終わりがない
松尾潔(音楽プロデューサー)
東京五輪は中止にするべきだったと思っています。トライアスロンの選手が完走後に倒れ込んで嘔吐する姿やアーチェリーの選手が熱中症で倒れたといった報道を目にするたび、この国のいびつさをいや応なく思い知らされたスポーツの祭典。なぜ真夏の東京の気候について、海外メディアから“日本はウソをついた”と不満の声が上がるような詭弁を弄したのか。招致の際に掲げられた「復興五輪」とは一体何だったのか。2013年、当時のこの国のトップがIOC総会の場で「アンダーコントロール」と英語で断言した際の空虚な響きは、今も耳に残っています。
私は「2002 FIFAワールドカップ」の公式テーマソング「Let's Get Together Now」の制作に日本側プロデューサーとして携わりました。当時は34歳。日本と韓国による史上初の共催と注目された大会で、国際的スポーツイベントのなんたるかもよく分からぬまま、過分な大役に無我夢中で取り組んでいました。そんな日々の中で感じたのは「エンターテインメント」と「ナショナリズム」のバランスを探る作業には終わりがないということ。
ただ、「東アジアの融和」というテーマを皆で共有し理念をもって取り組んだ結果、日韓の文化交流は活発になり、のちの「冬ソナブーム」にもつながりました。
清濁併せのむ芸能の世界は「永遠の微調整」だけれど…
はたしてコロナ禍で開催を強行した今回の大会は、どんな「レガシー」をつくれるのでしょうか。可能性として考えられるのは、開会式で披露された「ピクトグラム」。あのパフォーマンスを見てすぐに「絵文字の国の人だもの」というフレーズが頭に浮かびました。ガラパゴスと称されたiモード以来の絵文字文化の結晶、といえば大袈裟かな。日本らしさが凝縮されていたように思います。
大学在学中から渡米を繰り返し、R&Bやヒップホップの世界に身を置き仕事をする中で日本の良さを再確認した経験から、日本に生まれ育った人間が日本で五輪を開く意義も、少なからず理解しているつもりです。それでも本来持っていたはずのテーマ性が薄れ、政治的な要素にも左右されながら曖昧に進めていくこの国のエンターテインメントビジネスのあり方に、居心地の悪さを感じるのも事実。そうですね、清濁併せのむ芸能の世界は、結局、いろんな声と向き合って細かい調整を重ねていくしかないのかも……永遠の微調整、です。
ただし大会終了後、総額3兆円の税金を投じたオリパラの収支については冷静な判断をしなければなりません。無観客開催で赤字が膨れ上がった結果、都民は10万3929円の“テレビ観戦料”を徴収されると算出した報道もありました。請求書だけがレガシーとなる事態は、ご容赦願いたいものです。
▽松尾潔(まつお・きよし)1968年、福岡県出身。早稲田大学卒。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家。MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。プロデューサー、ソングライターとして、平井堅、ケミストリー、SMAP、EXILE、JUJUらを手がける。今年2月、初の長編小説「永遠の仮眠」(新潮社)を刊行。