クイックの練習で疲労蓄積 ボークの後遺症に左膝軟骨損傷が重なって膨らんだダメージ
リーグ優勝した翌年の1990年シーズン。キャンプ、オープン戦でも問題なかった私の牽制が、開幕後のあるとき、急に「ボーク」と宣告された影響は大きかった。
牽制は私の大きな武器だった。一塁走者をクギ付けにすることも多かったものの、ある日を境にそれができなくなってしまった。牽制によって走者を走らせないようにできなくなったのだから、なんらかの手を打たなければならない。走者に走らせないためにクイックモーションの練習に時間を割くことになった。
先発投手は通常、登板の2日後が休日だ。加えてもう2日程度、ブルペンで投げない日がある。つまり登板間に肩肘を休ませる日が3日ほどあるのに、そこをクイックの練習に充てたから、疲労は抜けないどころかたまる一方。そうなるとストレートは走らなくなり、スライダーやスクリューボールなどの変化球に頼るように。疲労が蓄積した肘にいよいよ負担がかかる──といった具合の悪循環だった。
そして9月に、試合中のピッチャーライナーが左膝を直撃、軟骨損傷で約1カ月間、戦列を離れることになった。プロ4年目で初の離脱だった。