オリ1位・曽谷龍平が書きためた「野球ノート」の中身 リハビリ期間も毎日1ページびっしり
曽谷龍平(21歳・投手・白鴎大)=オリックス1位
実家のある奈良県生駒郡斑鳩町は、世界遺産の法隆寺や神社に囲まれた歴史情緒あふれる町だ。
野球留学で明桜高(秋田)へ行くまで過ごしたこの地で、「ナンバーワン左腕」の原型がつくられた。「龍平の持ち味のひとつ、力感のないフォームとズドンとした球威のギャップはケガの功名なんですよ」と、中学時代に所属した志貴ボーイズの当時の監督・広瀬亮さんが続ける。
「中学2年の秋に腰椎分離症だったかな、腰に大ケガをして半年ほど我慢の時期があったんです。少しずつ投げられるようになった頃から、なるべく腰に負担がかからないフォームを模索した。これが今の下地になっています。龍平がすごいのは折れない心。リハビリ期間でも、一度も休むことなく練習の見学に来ていました」
■「野球パパのお手本」の父
チームの練習は長い日で朝6時から夜9時まであった。曽谷はストレッチをしたり、立ったままじっとグラウンドの様子を見つめていたという。ふびんに思った広瀬さんがたまらず近所の温水プールに行くよう指示を出したほどだが、曽谷は漫然と見学していたわけではなかった。