「メガネ選手生活」の原点…強風が吹きすさぶ千葉マリンはコンタクトとの相性が悪かった
それでも古田さんは奮起して89年のドラフト2位でヤクルトに入団すると、「野村ID野球の申し子」として、05年には2000安打を達成。球界を代表する捕手になった。メガネ選手の代表格である。
私は03年に7打席連続代打安打をマークしたものの、前年の不振もあってレギュラーから外された。4月からGW終了まで二軍生活を送っていると、自宅で家族と夕食を取ることが多くなり、子どもたちに「お父さん、どうしてテレビに出ないの?」と不思議がられた。
一軍復帰早々、千葉マリンでの西武戦で左中間に2ラン。「久しぶりにいい感触でした」とお立ち台に上がり、胸を張って帰宅すると、「お父さん、もう二軍に戻らないでね」と言われ、苦笑いするしかなかった。やはりプロ野球選手は一軍にいてナンボ。この年は63試合の出場で打率.312をマークしたが、レギュラー復帰には至らなかった。
その後、ロッテが31年ぶりの日本一になる05年にユニホームを脱ぐまで、メガネは外さなかった。
「メガネの選手は大成しない」といわれたが、17年間の通算成績は1732試合、打率.265、232本塁打、879打点。少しは見返せただろうかーー。