「日本一のマリーンズファン」が唯一怒った日
1992年に本拠地が千葉マリンスタジアムに移転した際、ユニホームが大胆なピンク色に一新された。「ダサい」「衝撃のピンク」などと揶揄されたが、実際にプレーしている時は斬新で「あり」だと思った。胸のロゴはこれまでホームもビジターも「LOTTE」だったものが、地域密着を目指して「Marines」になったのも大きな変化だった。この頃から劇的に変わったのは「ファン」である。
思えば、私が入団した川崎球場のオリオンズ時代は、毎日閑古鳥が鳴いていた。それが、新球場に移ってからはお客さんが入るようになり、昔ながらのヤジがほとんどなくなった。
93年にサッカーのJリーグが発足。ボビー・バレンタイン監督が就任した95年には、サッカーのサポーターがお揃いのジャージーを着て応援するスタイルにヒントを得て、ファンクラブ入会の特典としてレプリカユニホームを大量に配布した。それまで一般のファンがユニホームを着るという慣習はなく、これはロッテと同じ時期に始めたダイエーの2球団が最初だった。
95年には拍手と声の応援が主流になった。他球団はトランペットなどの鳴り物で応援するが、それをかき消すくらいの大音量である。選手時代、これは本当に後押しになった。あの統率の取れた応援は、選手にとっても誇りだった。ライトスタンドで跳びはね、マフラータオルを振るスタイルなどは、サッカーだけでなく、韓国や台湾のプロ野球の応援も参考にしたそうだ。今では他球団も取り入れている。