ドジャース山本由伸を丸裸! 戦線復帰後の成功を後押しする「思考」と「メンタリティー」の深淵
ドジャースの山本由伸(26)は、さる10日のカブス戦で右肩の炎症から約3か月ぶりに戦線復帰した。勝ち星は付かなかったものの、4回4安打1失点、8三振と好投。続く17日のブレーブスでは毎回先頭打者に出塁を許したものの、4回を4安打無失点で切り抜けた。
ポストシーズンでの活躍にますます期待がかかる山本を、恩師や後輩など複数の関係者の証言によって丸裸にする。
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山本由伸(26)は1998年8月17日、岡山県備前市で第2子(長男)として生まれた。姉との2人きょうだいとして育った山本は、小学1年の時、父がコーチをしていた地元の伊部パワフルズで野球を始めた。
本格的に投手をやるようになったのは東岡山ボーイズに所属していた中学1年の秋。誰に教わるわけでもなく、クイックをしたり、試合で突然、スローカーブを投げたりして指導者を驚かせた。
「他の子がしないような工夫を自分で考えながらやる。遊び心がありました」とは、同ボーイズの中田規彰監督だ。
中学3年の夏は全国大会に出場。複数の高校から声がかかる中、宮崎・都城高に進学した。
その約1年前、都城高で監督を務めた恩師の森松賢容氏は、山本の1学年先輩を受け入れることになり、関係者に挨拶するため東岡山ボーイズのグラウンドへ足を運んだ。そこで「ノーマーク」だった山本のひたむきさに思わず目を奪われた。
森松氏が言う。
「身のこなしが上手だなとは思いましたが、突出して目立つというわけではありませんでした。ただ、とにかく楽しそうに野球をしていたんです。カッコつけたプレーをしたくなる年頃ですが、そんな様子は一切なかった。うまくなりたいという純粋な気持ちが伝わってきました。技術や実力ではなく、こんなにイキイキとプレーする子がウチにいてくれたらと」
山本から入学の意思を伝えられたのは、1週間ほど後だった。
「由伸は良い意味で『勘違いができる子』でした。私は部員に毎年、色紙に目標を書かせます。由伸は1年生の時から『プロ野球選手』と書いていた。入学当初の球速は123~124キロ程度だったのにです。高校生にもなると現実を見てプロを諦める子もいますが、『目指せば、ひょっとしたらなれるかもしれない』と、ひたむきに努力できる。半年後の秋には球速が140キロくらいまでグンと伸びた。その頃ですかね、プロに行けるかもしれないと思い始めたのは」(森松氏)
高校時代から技術向上に貪欲で野球脳も優れていた。都城高の1学年後輩の福田尚輝さんが言う。
「ひとつひとつの練習の意味を考えていました。例えば社会人チームから練習メニューの提供を受けても、自分で必要だと思うことだけをやっていた。独学で投球理論を身につけ、150キロの球を投げるための腕の振りなどに、細かく取り組んでいました」
2016年ドラフト4位でオリックスに入団して1年目の17年、ファーム育成コーチだった酒井勉氏(現・東海大コーチ)は、ある変異に気づいた。
「投球フォームを変えながら投げていたので、本人に聞いたら、『バッターのタイミングの取り方を見ながら変えています』と。普通、投手は自分の形ばかりを気にします。自分のフォームを変えてまで打者と勝負できる高卒ルーキーを初めて見たので、これはすぐに一軍に上がる投手だなと確信しました」
1年目は一軍で5試合に先発し、1勝1敗。