初仕事ながら手応えを得た鈴木は、その後も岡田を調査。西武は岡田の指名拒否はないと判断し、79年ドラフトで1巡目に入札した。6球団競合の末に阪神がクジを引き当て、涙をのむ。このドラフトで鈴木は河合楽器の後輩にあたる捕手の大石友好(西武など)を3位指名。担当第1号選手となった。
岡田の父親と和気あいあい語らった6年後の1985年ドラフト。鈴木は自身が担当したPL学園高の清原和博(西武、巨人など)を6球団競合の末に1位指名した。その直後、根本陸夫監督と大阪・岸和田の清原宅へ挨拶に向かったものの、飲み物を口にすることさえはばかられる重苦しい空気に襲われた。