高校時代の投手・糸井嘉男に野手としての潜在能力を見いだし何度も京都府宮津に足を運んだ
京都・宮津は日本海に面する港町。日本三景の「天橋立」があり、江戸から明治時代にかけて日本海を巡航した「北前船」の停泊地でもあった。
1999年のある日、鈴木は宮津駅からタクシーに乗った。目的地は府立の宮津高校(現・宮津天橋高校)。歩けば20分ほどかかるが、車だと5分ほどで着く。毎年、多くの生徒が国公立大学に合格する府内有数の進学校に、お目当ての選手がいた。後に近大に進学し、2003年ドラフトで日本ハムに自由獲得枠で指名された糸井嘉男(阪神、オリックス)である。
「宮津高校は駅から途中、坂を下って川を渡ったその奥にある。山口の瀬戸内海沿いにある柳井球場(柳井市)とどことなく雰囲気が似てるんです。柳井もよく行きました。岩陽高校の藤島誠剛(87年日本ハム3位)なんかもいい選手だったなあ」と、鈴木がこう続ける。
「糸井はまず府大会で見た。カラダはまだ細かったですけど、身体能力は抜群だなと。他の選手とは動きが全然違いました。投手でしたけど、野手として魅力を感じました。カラダが大きいうえに足もめっぽう速い。ストライドが大きいし、動きがダイナミックなんです。これは凄い打者になると直感しました。バッティングはまだ引っ張りの打球が少なく、センターから逆方向に打つことが多かった。でも、それは裏を返せば、ただ振り回すだけでなくて、技術があるってことです。いくらパワーがあっても技術がなかったら、遠くには飛ばせません」