巨人1位・石塚裕惺 野球好きの両親が施した多種多様な「英才教育」…体操、水泳、英語、トロンボーンにソロバン
「歩き始めたころからプラスチックのバットを握らせてみたり、キャッチボールをしたりしました(笑)。幼稚園に通い始めると、週1回の1時間ほどの野球教室にも行かせました。どうしても楽しさを知ってもらいたくて(笑)。そのうち本人がのめり込んでいったので、年長時に『勝田ハニーズ』へ。隣の学区でしたが、いくつか近所のチームを見た中で、幼稚園児でもしっかり練習させるチームだったので、後々、本人のためにもなると思ったのが決め手です」
康直さんはコーチとしてチームをサポートし、石塚が小学3年になると監督に就任。明世さんはスコアブックのつけ方を覚え、記録係を買って出た。家でも特訓を欠かさず、明世さんは毎日のようにバドミントンの羽根やカラーボールをトスした。
「打ち返された羽根や球が顔に当たった時は本当に痛くて、『もうイヤだ!』と思ったことが何度もありました」と、明世さんは苦笑交じりに振り返る。
学年が上がるにつれ、日々の素振りの回数が増え、小学校高学年になると1日500スイングが日課になっていた。